囚われのパルマ〜失われた記憶〜をみて

舞台「囚われのパルマ〜失われた記憶〜」を見てきました。

 

  私は囚われのパルマという作品が、シリーズ全てを通して好きです。それはもう、どっぷりと。基本的に好意的な目でしか見ていないので特になんの気づきもない、本当にただただ今の感想を書きます。

 

  2.5次元という作品にならままあることと思いますが、幕が上がって最初はハルトを演じる太田さんのことを見ても「もっくんだな」と思っていました。

  それが、あるタイミングで突然ハルトにしか見えなくなりました。

  見ている時は気づきませんでしたが、少し時間の経った今思えば序盤のハルトは「私の知らないハルト」だったからかもしれません。

  俯きがちで、人を避けるようにして、研究に没頭するハルトは私の知らないハルトでした。あんな風に他人から「とっつきにくい奴」として苛立たれるハルトというのを私は知りませんでした。これはビハインドストーリーというだけあって、ハルトのことを知る為の価値ある場面だったと思います。

  そこから、ハルトだ!と思ったタイミングが明確にあります。それは、実験でマウスが死んでしまった後、カフェでハルトが郷田さんに謝罪する場面です。正直、私はここだけは泣きそうになりました。

  台詞はちゃんと覚えていないのですが「昨日はごめんなさい」(すみませんかなあ)と大きな声で頭を下げて謝るハルトは確かに私の知っているハルトでした。

  そうだよね、ハルトはマウスを死なせたくもないし、そしてその時の郷田さんの悲しみも誰よりも強く理解できてしまうからこそ、同じだけ、いやそれ以上に心にダメージがあったし、心から申し訳ないと思ったんだよね、と。

  それに、ハルトは心が見えるだけじゃなくて、ちゃんと聞いていたんですよね。郷田さんがモルモットを愛しているという話も。無関心なんじゃなくて、無視しているわけじゃなくて、ちゃんと人の事を見ているんですよね。

  そこから、だんだんと研究チームの誰しもがハルトのその実直さ、心の優しさ、懸命さを理解していき、最後にはあの山辺も「あいつ、頑張りすぎたんすよ」などと可愛いことを言い出して、これといった悪人のいないところがわたしには好ましく思えました。

  ここで、例えば久保田さんがハルトを陥れたり、山部がハルトに理解を示さなければ、話がまた違ったものになりビハインドストーリーとして完成しなかったと思います。

  あの、諜報員だとかいう篠木も、特になんにもできてないところが、逆にいいんだと思います。諜報員としては、完全に四流、うちのチアキ・カシマならもっと上手くやると思いますけどね。

 

  いや、まじで。最初篠木さんが「(元)凄腕の諜報員」として紹介されたので、後後までうっそだろ?こいつ絶対仕事できないだろ、と思いませんでしたか?

耳元でチアキが「俺ならもっとうまくやる」「俺ならこんな初歩的なミスはしない」「潜入前に、必要な単語を網羅するのは大前提」と囁いてきませんでしたか?

私の耳横にはいました。チアキ、ついてきてました。

 

  話は戻して。

  篠木さんも、狩谷さんも、特にこれといって話を進めるわけでもなく、本当に「ハルトの相談員」の為だけの舞台だったなと思いました。

  舞台化にあたってメインストーリーに関わる新発見があってはいけない、という縛りがあったと思うんですね。

  なので、基本的には本編で聞いてはいたけど具体的にどういう状況なのかはわからなかった話を後から知った、という感じで、多分あの会場の客席ににいるのは最後以外は相談員でも誰でもない誰かだったんだな、というのが良かった点だなと思います。

  だってハルトの相談員は、「俺の相談員はきみだけだ」なわけじゃないですか。その点で、ある意味相談員を排除したところがいいんだと思います。なんかよくわかんないですけど。

いやでも、最後の最後で客席を「相談員」にしてくれたのはそれもそれでとてもよかった。よかったよ。

 

あと。太田さんの顔が本当に小さくて。横から見た時の鼻から顎にかけてのラインがまさにハルトでしかなくて。横顔の美しさにおいて太田さんの右に出るものいます?くらいの気持ちになりました。

ハルトが太田さんに演じてもらえてよかったし、なにもかもが太田さんでなければ成立しなかっただろうなと思います。

  本当に、誰目線?という感じですが「ちょうどいい」というか。太田さんのあの柔らかい雰囲気は、なんなんでしょうね。人柄?

  思わずまた俳優を追いかける生活をしてみたくなるほど魅力的でした。ただ、ただ、この俳優さんが演じる姿を見ていたい、それだけ!みたいな純粋な気持ちを思い出しました。

 

  ただ、自分の知らないハルトを知る、そして大好きなハルトを再確認する、というのは一側面であり、もうひとつの面は政木を知るための物語でもあったなと思いました。

  言葉を選ばずに言わせていただけば、初っ端から全開にきめぇ。絶好調じゃねえか、政木。見つめるな。ハルトを見つめるな。

  私は政木さんの愛を否定しません。自身を偉大な詩人ダンテのように思い、涼子をベアトリーチェとして崇めるという愛し方を、ある意味本当に純粋な「愛」として美しく完璧だと信じる気持ちもわかります。 

  ただそれは、本当に涼子への愛なのか。そんな風な愛し方をする自分が好きなんじゃないのか。陶酔しているのは彼女自身なのか。それもそうなんだと思うのですが、それだけでない気がして、そこが気持ち悪いのだと思います。わかるぶん、同族嫌悪もあります。

 それに、自分のせいで涼子が死んでしまったという罪悪感に同情もしています。最初に言ったように彼の愛を否定しません。好きな人のすきな人が憎い、義人さんを憎む気持ちもよくわかるし否定しません。でもきっと、本当に殺したいわけじゃなかった。涼子にだって生きててほしかった。だからこそ彼の後悔は、もう狂っていくことでしか誤魔化せなかったのだと思います。

  でも、彼は真実の罪人です。

 新薬開発というのは人を救う為にあるのに、手段と目的をすり替え、新薬開発だけを目的とした結果、どれだけ多くの人を傷つけたでしょう?(狩谷さんの被害者団体からのヒアリングがかなりの量集まったという発言から)

それは本編でしっかりと裁かれたとは思います。

でも、私は今回舞台を見て、彼は他にも罪を犯していることを思い出しました。

それは、ハルトの寄せる信頼を裏切ったことです。

ハルトは1人で渡米し、とっつきにくさもあるけどなんだかんだと打ち解けみんなから愛されたと思います。それでも、保護者のいない心もとなさは少なからずあったと思うのです。

それを、政木は日本に呼び寄せました。そして自分のチームに加え、その才能を認め、彼の話に耳を傾け尊重しました。その心は、ハルトには、ちょっと変だなと思うことはあっても基本的に自分への好意で満ちている安心感を与えていたと思うんです。

ハルトは政木さんを信頼していました。

それを、彼は裏切ったのです。

その心の重たさ、暗さだけで、ハルトを倒れさせ、記憶を無くさせるほどの強い感情までぶつけて。

 

 本編でわかることですが、ハルトは政木さんを恨んでいません。

両親の死の真相はわからないし、正直言うと事故の状況から、誰かが細工したという可能性も捨てきれなくはありますが、やはり政木さんのせいとはいえないです。

私も、本当にただ事故だったんじゃないかと思っています。 

 でも、ハルトが許していても、私は政木のした事を忘れません。ハルトを傷つけたことを許しません。それだけです。

 

 もうすでに、何を書いているのかわからなくなってきましたが、いつものことなので続けます。

 

 書いていて気づいたのですが、この物語はもしかしてEND3に続いていませんか?

 ベアトリーチェは完成目前でした。問題点を除くことは、ハルトがもっと時間をかければ出来たでしょう。それが多分END3ですよね。

研究チームはハルトを暖かく待っています。それは明るく、素晴らしい未来です。

(追記※ハルトは渡米して薬を完成させたはずなので、この物語の開発チームではなく別チームかもしれないですが、私は舞台のチームが繰り返し「ハルトがいなくては研究は進まない」と言うこと自体をEND3への暗喩のように感じました)

 

 でも、それならじゃあ、僕ハルト(※END1のハルトのことです)はどうなるのでしょうか。

 あのなにも持たない純朴な青年はどうしたらいいのでしょう。

 ハルトの本当の望みは、どこかで静かに花を育てて暮らすことだったでしょうか?そこに愛する人(相談員)さえいればいいんでしょうか?

 全ての記憶を失っても、相談員さえいればいい?本当にそうでしょうか。

 私は幸せです。ハルトさえそばにいれば。記憶がなくても、また恋に落ちる。記憶がなくてもまた出会える。何度でも。

それはとても美しいです。だけどそれは私の自己満足で、この気持ちは政木とさして変わらないものなんじゃないでしょうか。

 ごめんなさい。私は今もまだ、囚われています。

私はもう、僕ハルトと歩んでいて、僕ハルトを愛しているのです。

 

 舞台の感想からポエムに高飛びしてごめんなさい。

パルマはすーぐ、成人女性に恥ずかしいポエム読ませるんだからもう。好き。

 

  そんなわけで(どんなわけで?)要するに舞台を見ることで、パルマへの愛を再確認することができました。

ありがとうございました。