囚われのパルマR EP7
※ネタバレあり
ただのかんじょうのはきだめ。
2/7
今、気持ちがいっぱいいっぱいです。
第3、第4面会を続けてやってしまったので、ひとつずつ追って感想をかける気がしません。
落ち着いたら書けるかもしれませんが、このままずっと書けないかもしれません。
もう、大使の事件とかどうでもいいのです。
私が選びたい未来は、彼と一緒に笑い合って暮らす、それだけです。
私が選んできたことばたちは、私の辿り着きたい未来に、運んでくれるでしょうか。
なにか間違ってはいなかったか。彼を追い詰めてはいなかったか。
今、わけもなく泣きたくて仕方ありません。
2/8
1日経っても、書けない。
胸がいっぱいで感想が書けない。
いやむしろ感想が書けないというのが感想…?
でも詳細な心の機微を順を追って書き残しておかないと、後悔するかもしれません。
だけど、わざわざ痛む傷をほじくりかえして、どんなふうに痛かったか、再度確認をして記録するなんて、よほどの奇人じゃないですか。
そんなことするの、詩人くらいじゃないですか?
詩人といえば、チアキ・カシマがランボーを好きだと知ってから私の朝活時間はランボー一色です。
ランボーの詩集(本人が唯一出版の意思を持って編集した)『地獄の一季節』は、詩を書くことの意味と試みと挫折とキリスト教との戦いと、あえて苦しみの中に身を置くような内容に感じますが、今の私はそれに不思議と癒されます。
日本の同時代作家として今なお人気を誇る、バナナヨシモトも、つらい時期をダリオ・アルジェントのホラー映画を見て過ごし癒されたことなどから、本当に苦しみの中にいる時はもっとすごい苦しみを体感することが癒しになるというようなことを(もっと聡明な表現で)言っていますし、本当にそうだなぁと思います。
傷ついた時ほど、より傷つくような物語を癒しに感じた経験は何度もあります。
チアキも、もしかするとクロイワの家で暮らした日々や茫然自失し感情をなくしたように過ごした日本に来てからの数年のうち、ランボーの詩に癒されたのかもしれませんし、今もまだ癒しに感じているのかもしれません。
逆説的ですが、彼が今もまだランボーを好きでいるということは、まだ彼の傷は癒えていないということではないでしょうか。
エピソード7を終えて、まだまだ私の心は混沌の中にあります。
とりあえず、そんなことを書き残してみました。
なんのこっちゃわからないですよねえ。
これを読み返す未来のわたしも、なんのこっちゃと思うでしょうか…。来週の私だよ!!
こんな気持ちにもなったねって、笑っていたらいいですね。